田辺市議会 2020-09-14 令和 2年第6回定例会(第3号 9月14日)
昭和49年1月、当時、田辺商業高校教諭、外山八郎先生が天神崎の高級別荘地への開発情報を耳にして、すぐに自らが先頭に立って行動を起こされ、天神崎の保全運動が始まりました。運動の母体となる名称は、自然を守るではなく、天神崎の自然を大切にする会、以下、会と称しますと命名されました。
昭和49年1月、当時、田辺商業高校教諭、外山八郎先生が天神崎の高級別荘地への開発情報を耳にして、すぐに自らが先頭に立って行動を起こされ、天神崎の保全運動が始まりました。運動の母体となる名称は、自然を守るではなく、天神崎の自然を大切にする会、以下、会と称しますと命名されました。
そういうものを踏まえながら、これは昨年でございますけれども、県が県内に高級別荘地をつくりたいということで、それで単なる別荘地じゃなくて、2地域居住を、要するに月のうち10日ぐらい来たり、月のうち2週間ぐらい来たりということを想定して、本町では私どもが推薦をしたのが富貴の地域と、それから花坂から新城にかけてかつらぎのあのあたり、川の向こう側ですね。
天神崎自然保全運動は、ご承知のように昭和49年1月ごろ、天神崎が別荘地として開発されようとしていたとき、このまま高級別荘地として造成し、売り出してしまえば、海と山とが一体となった生態系を保ちながら、子どもたちの生きた学習の場である天神崎が破壊されてしまうという思いで、行政側の理解を得ないまま、住民中心の運動として始まりました。